朝8時起き。
かれいのムニエルと、野菜・しいたけ・油揚げの炒め物を作る。
炒め物は塩こしょうに飽きたので、オイスターソースとクミンで味付け。
うまくいったけど、ペヤングの焼きそばってこんな味だった気がする。
蜂飼耳「紅水晶」読み終える。
「こぼれ落ちる猿の声」は体外受精がテーマ。
彩度の強い言葉が決して上滑りせず感情に血肉を与え、文章を運動させる。
住民税を払って店へ。
買取希望の方からメールで本の画像が送られていたので、見積りをして返信。
品出しやネット出品の作業の合間に、税金の勉強をする。
所得税の算出方法、控除の種類、個人事業税の納税のタイミング。
何が原因かわからないが、手先がムズムズして落ち着かない。
腕をたたいたり振り回したり、他の作業を挟んだりして抑える。
やるべきことから自分を切り離して、休ませる時間が必要なようだ。
梅崎春生「桜島/日の果て/幻化」読み始める。
久々にサウナに行く。
テレビのニュースが新潟の地震について伝えている。
羽越本線は全線復旧した模様。
自分の生まれた村(今は市に合併された)は、羽越本線の南端にある。
亡くなったじいさんのことを考える。
じいさんから「手伝え」と言われて農作業などを手伝っていると、「そんなこともできないのか!」とよく怒鳴られた。
「できないも何も、やり方がわからないから教えてほしい」と言っても、怒りで相手を見失っていて何を言っているのかよくわからない。
近所からのもらいものも、気に入らないと言ってこれ見よがしに捨てたりしていた。
行動の脈絡は掴みづらかったけど、そこに至る心情は理解できる。
示威的な行動を取ることで優位に立つという意図すらなく、自分をどうすることもできなかったんだと思う。
自分もじいさんによく似ている。
しかし、もっとうまくやらなければならない。
卯月妙子「人間仮免中つづき」の冒頭は、統合失調症を患う著者が、北海道のとある駅で夫と数年ぶりの再会を果たす場面から始まる。
抱き合い泣き崩れ生の実感を爆発させる2人の周囲には、ほかの駅利用客による罵詈雑言が飛び交っている。
その罵詈雑言は著者の被害妄想によるものだ。
著者はそのことも理解しているし、それを描くことも躊躇しない。
これは美しいのか、悲しいのか。
単なる症状と呼べばそれで済む。
しかしそれが表現として提示された場合、いかに向き合えば良いのだろう。
自分の中のエネルギーが身体という器を振りきってしまいそうになる人はいる。
東谷隆司さんもそうだったし、突然自殺した。
宇川直宏さんは東谷さんに関して「魂がハウリングした」と言っていた。
振りきるほどであったからといって、それはエネルギーの、量の問題ではない気がする。
いったい何なのか。
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