2019年9月12日木曜日

2019年09月11~12日

11日

朝9時起き。

ごはん食べて、郵便局に行く。
蒸し暑い。
弁当はチャーシュー丼。

店頭買取が何件かあり、ありがたい。
品出しを進める。
夜まどが店番を代わってくれたので外出、雨に降られる。
バイト。

スケラッコ「大きい犬」、古井由吉「杳子・妻隠」読み終える。
「杳」という字は「暗い」という意味らしいけど、木の下に日があるって良い字だなと思う。

子どものころ、秘密基地を作るのが好きだった。
最初は実家の裏庭に穴を掘って隠れ家を作ろうとしたけど、50センチくらい掘ったところで断念。
次は家の庭の萱(かや)の木の枝にロープや板、使っていないボロ傘などを組み合わせて屋根を作り、そこで一雨やりすごしてみようと計画した。
萱の木は根元からたくさんの枝が「ノ」の字みたく放射状に伸びていて、よく枝の間に入り込んで遊んでいた。
屋根を作って「後は雨が降るのを待つばかり」と興奮していたら、母親からストップがかかり、結局解体することに。
他にも庭に大量の段ボールを使って小屋を作ったり、学習机の下に潜り込んで机の壁に落書きしたり、押し入れの中に懐中電灯を持って潜り込んだり、ありったけのかけ布団を部屋に敷いてモグラのようにその中を徘徊したり、マットレスをV字に立てて上にシーツをかけて空間を作ったり、車庫にテントを張ったり、落葉を集めてその中に埋もれて寝ようとしたり(これは周りの人間から全く共感を得られず未遂に終わった)、していた。
こうやって書き出してみると、本当にいろいろやっている。
何もない空間に対して秩序や機能を与えることに心地よさを感じるのは、絵や展覧会に対しても同様かもしれない。
坂口恭平さんやかとうちあきさんの本を読んだ時もかなり共感する部分があった。
手近な材料や既にある環境から出発して自分の心地よいと思える感覚を探っていく、というような姿勢も好きだ。
自分のこういう部分は一生変わらないだろう。


12日

朝9時起き。
早起きしようと思ってたけど無理だった。
昨日の雨のおかげかだいぶ涼しい。

村上信彦「高群逸枝と柳田国男」読み始める。
婚姻制研究への柳田の態度を批判的に検証している。

食材を買って、オクラのおかか和えと、空心菜とネギの炒め物を作る。

開店、品出し。
休憩中に中央公園に行って本を読もうとしたら、蚊がまだ多くて無理だった。
午後の陽が出ている間はまだ暑い。
ネット出品進める。

今日はバイト休み。
これからまた、高松港に桟橋の音を録音しに行く。

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