2020年2月10日月曜日

2020年02月10日

朝9時半起き。9時間近く寝てすっきり。
納豆と中西君からもらった味付け海苔で軽く朝ごはん。喫茶店。永井龍男「花十日」読み終える。

保坂和志「試行錯誤に漂う」読み始める。
「中学高校の頃のあの、教室の後ろの方ですぐにプロレスごっこがはじまるようなガシャガシャしたものの中にその後の人生がある、と思った。(中略)あの状態というのは善にも悪にも方向づけられていないエネルギー状態そのもので、そこにしかるべき刺激・触媒が投入されれば、小説や音楽や絵や何でも生成する」
ラカン派の精神分析学を学んだ先生に「とにかく思いついたことを、思うままに全部しゃべってみてください」と言われてやってみたら、強烈な解放感があり、自分がいかに普段自分自身の行動や語りに対し厳密さを求めてしまっていたかを痛感した。この「語りの厳密さ」からの解放は小島信夫の小説を読むときにも感じる。「試行錯誤に漂う」にはラカンについての章もある。

淺井裕介と「集中して絵を描いていると、誰とも話せなくなってきて楽しい」という話をしたことがある。自分が2010~11年頃に企画していたライブペイントイベント「間欠泉」や、淺井さんとやっていた「聞き耳」についても、わさわさと絵を描いていると何か完成とは別の方向へエネルギーが向かう瞬間があって、それが面白かった。野方で小鷹拓郎君がやっていた店で「間欠泉」をやった時には、その場にいる何人かがペンやマーカーを持って、下から紙を胴上げするように突き上げながら絵を描いた(この時「それは描いたと言えるのか」は問題ではない)。横浜で「聞き耳」をやった時には、透明のビニールシートにミネラルウォーターをまいて(当然これでは何も描けない)、木材から飛び出した木ネジで手を傷つけた淺井さんは血で自動車のフロントガラスに張り付きながら絵を描いていた。「聞き耳」でやったお花見では、いつの間にか参加者全員の背中に紙が貼られ、みんなが誰かの背中に絵を描き始め、奇妙な輪ができた。こういう状態になってくると、もう別に何も描かず、石の上にペットボトルを置いた時の傾きとかでもよくなってくる。何かが際限なく湧き出していたことが明るみに出て、それに対する反応が鋭敏になる。厳密な語り、ストイックな生き方、完成された作品などから全く離れた部分で醸されている何かに自分の興味はあるようだ。
自分は別に何も作れない、という人はよくいる。しかし何も作っていないつもりでも、周りの人間はあなたから何を感じているかわからない。あなたが何も作れていない保障なんてどこにもない。

開店。カントリー聞く。
今日はお客さんがけっこう多い。明日が祝日のようなので、今日の仕事を休んで4連休にしている人が多いのかもしれない。あわてて明日12~19時で臨時営業することにした。

YouTubeにジジキのライブ動画があった。すごい演奏だ。
https://www.youtube.com/watch?v=4x_dBhKh8wI

今日もバイト。

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