2020年8月12日水曜日

2020年08日11~12日

10日夜

海に行く準備をして、絵を描いて寝る。


11日

朝7時半に起きる。定休日。

ごはんを炊いてなかったので、朝ごはんを外で食べることにする。松下製麺所でかけ1玉とコロッケ。栗林駅から電車に乗って讃岐津田へ。電車の中で中平卓馬「なぜ、植物図鑑か」読み終える。

「ゴダールは『男性・女性』を作る際、街で出演すべき女優を探しているとき、たまたまシャンタール・ゴヤに出遭ったという。彼はとにかく自分の映画に出てくれと要請しどんな映画かと聞かれた。それに対して彼は、どんな映画かはわからない、とにかく出てくれさえすればだんだん映画はでき上がってゆくだろうと答えたという。このエピソードは示唆的である。それはロブ=グリエと同様、映画を作るということを思想の伝達とかイメージの具現化として考えるのではなく、それを通して方法的に生きるということ、つまりゴヤを通してゴダール自身が生きるということ、そして作品はその残滓にすぎないということを証明している。」

津田着。適当に歩いて津田の松原へと向かう。棟方志功もすばらしいと絶賛した、と案内看板に書いてある。奔放に曲がりくねった松は見ていて楽しい。涼しくなったらまた来たい。浜に人はまばら。海パンにはきかえて泳ぐ。少し離れたところで女の子2人組が泳ぎ始める。水着の女の子なんて、普段の日常じゃ印刷物やスマホの画面で目にするものだなと気付く。男2人組がナンパ目的か、女の子たちの近くで泳ぎ始めて、特に何もなく帰っていった。泳ぐのは楽しい。

着替えて駅に向かう。途中に製麺所があり、かけ1玉とかき揚げを食べる。システムをよくわかっていなかったので、ぱっと視界に入った温かい出汁をかけて食べた。店を出る時に、冷たい出汁が大きなたらいに入れられて冷蔵庫の中で冷えていたことに気付く。小さなおたまがぽつんと引っかけてあった。冷かけの場合はこれということらしい。

帰りがけの電車で千葉雅也「デッドライン」読み始め、そのまま高松の喫茶店で読み終える。後半、主人公が自分のセクシュアリティに向き合いながら社会を捉え直すような独白がたたみかける部分があり、ここのスピード感と解放感はすごい。

「金髪と黒い肌のコントラストが鮮やかな、小柄な男がいる。付きすぎていない筋肉の起伏が、上等な木を使った家具のように美しい。こんなにかわいいのに、つっぱって、男らしく、女を引っぱっていこうとするに違いない。もったいない。バカじゃないのか。抱かれればいいのに。いい男に。」

高松市美術館に行こうとしたら休館日。帰って絵を描く。日が暮れて料理。もやしとオクラの和え物、豆苗の卵とじを作る。昨日買ったカツオのたたきとトマトを切って、夕ご飯完成。

まどとごはんを食べながらいろいろ話す。フェミニズムやハラスメントのことについても話す。まどはSNSで目にするフェミニストの人達の発言には懐疑的な気持ちになることが多いようだ。しかし話を聞いていると、主張そのものというよりはSNSで遭遇する「語気の強さ」が苦手というだけな気もした。まどは自分の生活に予期しないノイズが入り込むのを極端に嫌がるところがある(そのこと自体は批判したくない)。ある思想や運動が社会に対して何らかの形を表す時、即効性を狙ったものもあれば、遅効性を狙ったものもある。前者はSNSなどで出くわす可能性の高いもので、それだけを材料にして判断するのはやはり性急だと思う。即効性のフィールドばかりに意識が向いていると、問題の解決や対話に至ってもないのに「論破」したから勝ちだとか、おかしなことになってくる。映画や本は受け手側も心の準備がしやすくて良い。

陽に当たりすぎて体が真っ赤になってしまったので、氷枕+クーラーつけっぱなしで寝る。


12日

朝7時半に起きる。料理。豚肉と野菜の辛みそ炒めを作る。

絵を描く。これはうまくいくぞと思っていたら、急にだめな気がしてきたので、思い切って塗りつぶす。川端康成「山の音」読み始める。外出。スマートレターを買って、スーパーに寄る。ウィンナーやベーコンを買おうと手に取って、添加物の多さに躊躇する。

開店。お客さんはそこそこだけど、さっと見て帰っていく人が多かったか。店頭買取1件。

今日はもう少し本を読む。水風呂に入りたい。

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