2024年3月30日土曜日

棚を作る(2024年03月28~30日)

27日(水)夜

閉店後、ルクスに昨日忘れたレコードを取りに行く。本を発送して帰宅。なんだか疲れてしまい、だらだらしていたら時間が過ぎてしまった。早めに寝る。


28日(木)

朝8時に起きる。朝ごはん。音楽聞きながら料理。小松菜のおひたしと卵焼き、白菜、しめじ、にんじん、もやし、ひき肉のオイスターソース炒めを作る。

外出。スーパーと八百屋で買い物をして作業部屋へ。棚のために買った板に目印をつけていき、電動ドライバーのバッテリーを充電。

開店。この日は夕方から雨との予報で気分もなんとなく重い。発送準備、品出し。単純作業で進められることをやる。天気が悪い割にはお客さんは来た。まどはこの日締め切りで大変だったようだけど、無事に一区切りついたらしい。良かった。

閉店後、棚の組み立て。電動ドライバーのバッテリーの持ちが悪くなっているような気がする。そろそろ替え時だろうか。途中、棚板の採寸を1か所間違えていたことに気が付く。4cm切り落とさなければならない。面倒だけどやるしかないか。

早めに帰宅。お酒は飲まず。仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』読み進め、シャワー浴びて寝る。


29日(金)

朝7時半に起きる。朝ごはんを食べて、鮭を焼いてお弁当の準備。

外出。作業部屋で棚作りの続き。採寸を間違えた板を丸ノコで切り落とし、組み立て。棚を置く場所を作るために物を動かしていたら、大掃除がやりたくなってしまい、思っていたよりも大がかりなことに。ほうきがけ、コロコロ。とりあえず棚は置けた。

開店。店頭買取2件。出張買取のご依頼メールが届く。発送準備、品出し。お客さんの数が時間帯によってかなりムラのある日だった。夜、本の中身をスマホで撮影した人がいたので反射的に注意してしまう。なんかこういうこと久しぶりにやったな…と思ったら中国からの方だったようで、あまり意味がわかっていなかった模様。しかし買ってくれた。ありがとうございました。

閉店後、本の発送。お酒飲みつつ、清水宏『有りがたうさん』見る。1936年作品。一台のバスがのんびりと天城峠を走り、バスの乗客や車窓から見える人々の人生模様が見え隠れする…という、ただそれだけの映画。家庭の貧困から東京へと売られていく娘、故郷へと帰ることになり墓の世話を主人公に頼む朝鮮人の娘など、当時の暗く重い世相が反映されているが、清水宏独特のユーモアセンスや運転手の連呼する朗らかな「ありがとーっ」の声のおかげか、見終えた後の印象はメロドラマ的な湿っぽさがなく、明るくさっぱりとしている。素晴らしい映画だった。主人公の上原謙はもちろん、不良娘?の桑野通子が良い。太平洋戦争勃発の5年前に、女性をこう描いている映画があることを知れたのも新鮮だった(といってもこの時期の日本映画をあまり見ているわけではないので、今後いろいろ見ていきたい)。

帰宅。実家からいろいろ届いていて、珍しく弟2人もおみやげやら送ってくれていた。風呂に入り、『アーレント』少し読み進めて寝る。

「ヒトとして生まれただけですばらしいということにすると、ヒトは「人間」になるべく、討論・説得の技法とか人文主義的な「教養」のようなものを身に付ける努力を怠るようになる。それどころか、「教養」的なものを、"生来のすばらしき人間性"を覆い隠す、あるいは、抑圧するものと見なし、排除する傾向が生まれてくる。」(p121-122)


30日(土)

朝8時に起きる。弟がおみやげに送ってくれたきんつばを食べる。あんこ好きなのでうれしい。掃除と洗濯。

まどと外出。かなり暖かい。南へモーニングに行こうとしたら臨時休業。グレコへ行き『アーレント』続き。ここ最近まども朝ごはんを食べたらすぐに机に向かうという生活をしていたので、こういう時間も久しぶりだ。

「心底から"善人"であるかどうかではなく、「良き市民」という役割を、公衆の面前で演じ切れているかどうかが問題なのである。そこを取り違えると、「偽善的な『見せかけ』を破壊すれば、自然本性が復活する」という幻想に囚われ、西欧文明において「人間性」という理念を支えてきたものを次々と破壊することになる。」(p142)

久しぶりにルヌガンガへ。平凡社ライブラリーの近刊、エドマンド・バーク『崇高と美の起源』を注文する。

開店。この週末は天気も回復するようで、なんとなく気が軽い。来週につくばと東京へ行く際の予定を固めつつ、品出しと発送準備を進める。

今日はこれからkokuaで行われているイベントに行く。

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