文章の練習がてら、ブログを書いてみようと思う。
Twitterだと反応がやたら気になってしまったり、感情をできるだけ手短に表現しようとしてしまうので、ブログのほうがのびのびと書けるような気がする。
内容について何か言われたら、考えて、謝るなり直すなり重ねて主張するなりしよう。
ブログを久しぶりに開くと、新規投稿は2年半ぶりのようだ。
この間もいろんなことがあったけど、長くなるので省く。
気が向いたら振り返ることにする。
一昨日は、ルヌガンガに荻原魚雷さんと福田賢治さんのトークを聞きに行った。
タイトルは「荻原魚雷が語る、怠惰の技法、創作の技法」。
質問タイムがあったので、「自分のネガティブな部分を率直に書けるようになったのはいつ頃からですか」と聞いてみた。
自分はどうもかっこつけてしまうのか、調子の悪い時にそれを誰かに伝えるのが苦手だ。
相手に気兼ねさせてしまったら良くないのではないか、と思ってしまう。
魚雷さんの文章を読むと、落ち込んでいる時の様子もさらっと書いているので、これは何か転機のようなものがあったのではないかと思ったのだ。
しかし魚雷さん曰く、そのような転機はなく最初からそういう文章はさらっと書けたとのこと。
梅崎春生や上林暁など、「起きてもふとんの中でうだうだしているというところから書き始めるような」私小説作家に親しんできた魚雷さんにとって、自身のそういった面を文章にすることは自然なことだったようだ。
「自分は『寝起き不調文学』を継承している」とも。
なんだか肩が軽くなったような気がした。
あまりお金使いたくなかったけど、本の雑誌社から出た「古書古書話」を購入してサインをもらい、結局打ち上げにも参加。
今日は朝8時半頃に起きてごはんを食べて、家事をやりつつ本を読んでいた。
炊事は昨日の深夜にナムルを作っておいたので、サバを焼くだけで済んだ。
午後になってまどと半空に行き、コーヒー飲みながら日記書いたりまた本読んだり。
定休日らしい一日。
これから晩ご飯を食べて、絵を描いて、時間があったら映画を見ようと思う。
植本一子さんの「家族最後の日」を読み終えた。
こんなに自分の知っている人が出てくる本は「素人の乱」以来な気がする。
「元気にしてるのかな」という人もいるし、「挨拶はしたけど結局うまく付き合えなかったな」という人もいる。
出てくる街も、広島は行ったことないけど東京、新潟、高松は思い入れが強い。
植本さんの文章は自分のその時の感情を率直に形にしていて、こことここ矛盾しているのでは?と感じる部分もあったけどそこもひっくるめて誠実さ(微妙な言葉だけど、これがしっくりくる)としてこちらに迫ってくる。
ECDさんの癌の進行が発覚した時、周りの人たちがドネーションを募るために一斉に何かを作り始めるところはぐっときた。
高松からSNSを通して見ていた断片が、するするとつながっていく感じがした。
久しぶりにブログを書いたら、けっこう時間を使ってしまった。
でも、自分の中にたまっている何かをゆっくり吐き出すのにはやっぱり良い手段な気がする。
30分くらいの短い時間で、日々少しづつ書いていければいいなと思う。
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