2023年12月13日水曜日

やめゆわ(2023年12月11~13日)

10日(日)夜

閉店後、燦庫へ。ヤンフー3周年記念イベントに顔を出す。cowbellsのライブを見て、ビール1杯だけ飲んで出た。作業部屋へ行き、伊藤整「イカルス失墜」続き読む。ubuwebにアップされているトリシャ・ブラウンのパフォーマンスの動画(”watermotor","Primary Accumulation")を見る。少しキャンバス進めるが、行き詰ってきた。以前に手をつけて放っていた小さなキャンバスの続きをやり始めると、こちらはあっけなく完成。どこでどうなるかわからない。


11日(月)

朝8時頃に起きる。朝ごはんを食べて料理。ひき肉と白菜、にんじん、長ネギ、もやしのみそ炒めと卵焼きを作る。ぼんやりした日のお弁当は茶色くなりがち。コーヒー飲みながら読書。外出。スーパーで少し買い物をして作業部屋。新しい小さなキャンバスに色を塗る。

開店。昼過ぎからぽつぽつと降り始め、お客さんの少ない一日になる。店頭買取が1件。久しぶりに出張買取のご依頼もあり、来週の火曜にお伺いすることになった。天気が良くなるといいんだけど。神奈川県から郵送買取1箱届き、振り込み。品出しやネット出品、イベントの連絡など進める。

閉店後、本を出荷してお酒を買い、作業部屋へ。読書、キャンバス続き。新しいキャンバスにも手を付け始める。さっと手数少なく決める癖をつけたいが、なかなかうまいこといかない。


12日(火)

朝8時に起きる。ごはんを炊いて朝ごはんを食べる間に、ケリー・ライカート「リバー・オブ・グラス」見る。洗い物、読書、洗濯。

外出。南に入る。朝まどと会話していた時に出てきた「やめゆわ」について考える。「やめようか」という言葉を言おうとして途中で「やめるか」が割り込み、「やめゆわ」になったというもの。「やめゆわ」のような言葉は日常会話でよく口からつい出てしまうものじゃないかと思うけど、発話の段階で出てきたとしても、文章に書かれる際には読めないからと「やめるわ」に修正されてしまう。「やめゆわ」のような言葉で文章を書くことは可能だろうか。「イカルス失墜」読み終え、檜垣立哉「ベルクソンの哲学」を読み始めると、そこにつながるような箇所が出てきた。

「そこで複数の途が、可能的ではあれ行為に先だって存在するかのように描かれているのはなぜなのか。それは進行したことから進行しつつある事情を再構成するという意味で、やはり決定論と同様に時間の空間化に依拠するものではないか。(略)可能なものとは、実在が生じたあとで、そこに付加されるように成立するのである。」(p83)

本屋で本をぶらぶら見て、何も買わず出る。綿谷で肉うどん食べる。店で、先日買ってもらった絵を梱包して発送。コンセントまわりのそうじ。換気扇もそうじして油をさす。

作業部屋で絵の続き。昨日手を付け始めたキャンバスのほうが先に完成する。煮詰まってくると、軽い気持ちで進めていたほうがいつの間にか完成してしまうことがよくある。

久しぶりに頼酒店へ。店には自分の他に先客2人。リチャード・ブローティガン「ハンバーガー殺人事件」を読みつつ、ビールとレモン酎ハイ、ガーリックトースト。角打ちとブローティガンという組み合わせがとてもちょうどよく、良い気分。

帰宅。古川卓巳「拳銃残酷物語」見る。終盤の銃撃戦のシーンは良かったけど、全体的にどこか食い足りない感じがした。風呂に入り、少し本を読んで寝る。


13日(水)

朝8時に起きる。朝ごはん。まどがおかずを作ってくれている横で洗い物をしたり、スーパーへ買い物に行ったりする。読書。「ハンバーガー」読み終える。ブローティガンの小説では様々なことがなんでもないように通り過ぎていく。

外出して、店に到着すると、諸事情が発生。いろいろあって開店が1時間弱遅れることに。発送準備など進める。店頭買取2件。日が暮れた頃にまさみさんが来て、いろいろお話。新潟の話などもする。まどや小鉄君も来る。

今日はこれから少し用事を済ませ、ネット出品をやって、絵の続き。

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