2025年8月13日水曜日

創作と出来事(2025年08月12~13日)

11日(月)夜

帰宅。風呂。ビールを飲みながら石井隆『天使のはらわた 赤い閃光』見る。ぬらぬらと湿度を伴った陰影、回想と現実を瞬間的に行き来する演出に引き込まれる。ラスト近くの非常階段を下りていくカットも良かった。木内俊彦『物と経験のあいだ カルロ・スカルパの建築空間から』読み進めて寝る。


12日(火)

朝9時前くらいに起きる。まどが味噌汁を作ってくれた。ヨーグルトも食べる。筋トレ。

南へ。『物と経験のあいだ』を読み進め、ひなびた雰囲気が欲しくなったので川崎長太郎『ひかげの宿/山桜』も読み始める。これは「抹香町もの」をまとめた文庫。小田原は昔大学生の頃に行ったきり。また行きたい。

銀行でお金を預けたり、沖縄料理店で冷やしソーキそばを食べたり。久しぶりに栗金商店に行く。堀金君は流行のマンガを意識的に読んでいるようで、まどとたくさんマンガの話をしていた。途中からみきちゃんもやってきた。Tシャツを1枚買う。

午後はイラレでアレの作業。250ほどあるアートボード全てに名前をつけ、それをさらにある順番通りに並べ替えていく。単純作業。ついでで店を開けていたら10人ほどの来店があり、少し本も売れた。ありがたいことだ。

18時をまわり、別の場所でネーム作業をやっていたまどが店にやってくる。raiさんに行くが予約でいっぱい。よって屋へ。ぼんじり串、トマトスライス、すだちぎょうざ、骨付鳥食べる。ビールとバイスサワーを飲んだ。おいしくて安い。

2杯飲んでしまったけれど、店に行き再び作業。やっているうちに調子が出てきて、10年以上ぶりに聴いたEssential LogicのKill Rock Starsからの2枚組もなんだか染みてきて、いい感じのところまで進んだ。

帰宅。風呂に入って寝る。何度も金縛りと悪夢で目が覚めた。


13日(水)

朝8時に起きる。あまり寝た気せず。朝ごはんを食べ、カレーを作る。ゴーヤ、ピーマン、ナスと夏野菜をたくさん入れてみた。にんにくの香ばしさも良い具合で、うまくできた。来週2日間くらいかけて旅行に出ることにする。

スーパーで買い物をして、店に行く。若干体調悪い。寝ている時エアコンが効きすぎていたような気がする。とりあえず少しずつ作業。

開店。品出しなど進めていく。体調はそこそこ回復。小山田浩子さんがパートナーの方(こんな書き方では対等な立場ではないように読めてしまうかもしれませんが…すみません)とお2人で来られる。本をいろいろ買ってくださり、お話。まどへの応援メッセージも頂戴する。Instagramのストーリーでパートナーの方(すみません)がたまにアップされている映画についての投稿がとても面白く、増村保造の話などをした。徳田秋声原作というのもあるし、『爛』をおすすめする。早めに発送作業を片づける。郷土関連の本を熱心にご覧になっているお客さん、話を聞くと今回の帰省でご先祖が豊臣秀吉と共に朝鮮へ出兵した弓の名手だったことがわかった(!)らしく、調査中とのこと。人生何があるかわからない。

京都からマツダキカさん来られる。Hand Saw Pressの小田さんからYOMSを紹介いただいてたようだ。作品と、昨日Hand Saw Pressで刷ったばかりという、ドローイングが掲載されたzineを持ってきてくださる。作品を見ながらいろいろお話。Instagramで「よかったら作ったものを見てください」と事前にメッセージをもらっていたにも関わらず、なぜか心がどんどんこわばっていく。小田さんからの紹介だからこのzineを扱わなくてはならないとどこかで思っていないか?とか、きっぱりと「持ち込みは全てお断りしています」となぜ言えないのかとか、扱うまでの本来あるべき心の動きを自分がないがしろにしていないかとか、いろんな疑念が頭の中でぐちゃぐちゃになる。とりあえず「京都の好きな場所はどこですか」「川です」「川のどんなところが好きですか」などマツダさんのzineとは直接関係のなさそうなことを、湧き上がる疑念の外堀を埋めるように聞いていく。マツダさんはそういう自分の意図を汲み取ってくださったのか、幼少期の同級生のことや、自閉症の方々の働くブルワリーでのことなどをたくさん話してくれた。それが自分の創作にいかにつながるか、ということを言葉を探りつつ話してもくれて、正直それはかなり抽象的な次元の話で意味をつかみ辛かったけれど、一番重要なことな気がした。そういう話に手が届いたので、結局zineを5部買い切りで扱うことにする(なんだかまるで絵を見ていないような感じだけれど、そんなことはない)。マツダさんが帰った後も、失礼なことを言ってしまわなかっただろうか、と心配になる。

zineの持ち込みは基本ほとんど断っている。全く事前の連絡なしで来て取り扱いを決めたのはFujimura Family(当時はMy Ceramics)くらい(あまりに作品が強烈だったので)。断っても、そこから活動をSNSなどでチェックしたり、展覧会などに足を運んだり、何度か会っていろんな話をしたりして、数年後やっと「よかったら取り扱わせてください」と言うことができたりもする。そこまで時間をかけていたら、そのうちもうzineを扱うかどうかはどうでもよくなっていくこともあるだろう。しかしその行動、会話、逡巡はそのzineがなければ起こらなかった出来事だ。もしかしたら全く違う角度で関わることになるかもしれない。自分はモノとしてのzineもそうだけど、そういった創作物から誘発された出来事をより注視したい気持ちがある。

原稿依頼をすっかりそのままにしていて催促がきてしまったので、今から書きます。

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